ウプシェアサロンを作った願い

20才から名古屋のトップサロンで働き、30歳になった時、地元蒲郡の実家のサロンで弟の友人を初めてカットした時、名古屋との技術の差に愕然としました。

展開図の考えられていないカット、左右で違うツーブロックの幅、無作為に梳きすぎている毛量、それによっておこるガタガタのカットライン、、、

他の美容師さんを否定する訳ではありませんが、なんだか、こんなカットをして代金をもらっているのかと悲しくなりました。(自分が上手いとかそう言うのではないです)

そこで、私は弟のお友達にしっかりとカウンセリングをしてみてやりたい髪型、出来ること、出来ないことを丁寧に話し、提案もさせていただきながら技術を提供させて頂いたところ

・カウンセリング

・技術

・ホームケアアドバイス

全てにおいてこんなにやってもらった事がないと、とても喜んでもらうことが出来たのです。

名古屋で当たり前にしている事が、地方だとこんなに喜んでもらえるのかと嬉しさと喜びがありました。その結果、口コミが広がり今では実家のサロンにも沢山のお客様が来てくれるようになりました。

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私が名古屋の大手サロンを退職し、地元に帰った理由は膝の半月板損傷という怪我で一日大忙しのサロンではフルでサロンワークをするのが辛くなってしまったからですが、結婚や親の介護や独立など様々な理由で都市部を離れないといけない理由が出てくると思います。

そんなとき、私には実家のサロンがありましたが、大抵の方は働ける場所を探さないといけない事に気がつきました。

冒頭の話と合わせると、各地方に都市部から美容師さんが集まる店舗を作ったら美容師さんも働く場所に困らず、お客様も良い技術を提供してもらえるしとてもいいのではないか?と考えました。

実際、自分が蒲郡に戻ったからこそ、美容院難民がたくさんいることに気がつけましたし、田舎には良いサロンがないからといって都心部の美容院まで出かける方もいらっしゃらないことも把握できました。

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これから超高齢社会の日本での年金問題や自分が65歳以上の高齢になった時にも働かないといけないといった不安定な社会ではいかに自分自身を守れるかが重要になってくると思います。

そして自分の親や家族も守っていかなければいけません。

政治や経済の知識やマネーリテラシーを上げていかないといけないと思っています。

特に男性は年齢を重ねるごとに売り上げも伸ばしにくくなるため、40.50.60になった時一体どうやって生計を立てていくのか、きちんとしたビジョンをもってこれから過ごしていかないと大変なことになります。

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そこで、これからの働き方を考え、一人一人がしっかりと生き抜いていけるシステムを作ろうと考えたのがウプシェアサロンです。

美容師さんの実力や希望に合わせて働き方に多様性を持たせ、アシスタントの頃から経営を学び、30歳以降は都市部でも郊外でもどこでも通用できる人として中身を作り上げていけば沢山の美容師さんに幸せになってもらえるのではないかと考えました。

社員でも、アルバイトでも、業務委託でも。

自分の生活に1番あうものを一緒に選べばいいんじゃないかと思いました。

でも大前提で技術力は外せません。

だから名古屋に1店舗目を構え、ここで沢山の美容師さんを育てて、地方の店舗へと移りゆくスタイルを提案していこうと起業しました。

技術さえ磨けば、独立してリスクを背負う必要を無くしたサロンがあってもいい。もう古い働き方で時間もお金も心も搾取される職業じゃない。そう思いました。

こんな想いが伝わって、オープン前ですがステキなメンバーも揃い、頑張ってよかった。と早い段階ですが感じています。

これからどんどん会社を大きくして、沢山の人に喜んでもらう人生を歩みたいと思います。

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